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人は時々考えすぎて、実際に見えないものでも心配になってしまいます。

未来のことを心配しすぎたり、中には現実として起こらないことにも不安になります。

私もその一人。そして私の母もそうでした。 

 

母は、日本での私とMoon Rider(車イスユーザー)のMizukiの生活をとても心配していました。

私がどれだけ「問題なくやっているよ」と伝えても、母は一切それを聞きません。

百聞は一見に如かずということで、私は母を日本に招待し実際に日本での生活を見てもらうことにしたのです。

 

Seeing-Fuji-From-Odaiba
私の母と弟。富士山を見ています。

 

2014年2月、旧暦新年の連休をつかって母と弟が台湾から東京にやってきました。

台湾人が持っている日本のイメージは、日本映画からのものが強いです。

きっと私の母と弟も「日本は規則に厳しくて社会的圧力の高い国」と想像していたでしょう。

もちろん日本はそういう部分もありますが、それはある一面にしか過ぎません。

日本人はとても親切で寛大な人が多く、みんなが過ごしやすい社会を作っています。

 

私は母と弟を連れて当時住んでいた小さなマンションと見せて、日々の生活について説明しました。

また東京の観光地である浅草、東京スカイツリー、明治神宮、お台場なども案内しました。

実際に東京を見て回ることで、母は次第に私の生活が想像していたより大変ではないことを感じ取ったようです。

(それまではきっと、私がすべての家事をしながら毎日16時間働き、精神的にも身体的にも疲れきっているはずと想像していたでしょう)

 

Mizukiも一緒に朝ごはん
Mizukiも一緒に朝ごはん

Mizukiは当時仕事が忙しく、私の母と弟とすべて一緒に行動することはできませんでしたが、

滞在中に一度だけ朝ごはんを皆んなで食べることができました。

私は母にMizukiがしている仕事(CSR)について説明しました。

初めは聞きなれない仕事の内容に戸惑っていましたが、例を挙げて説明していくにつれて、

Mizukiは能力があり仕事に一生懸命取り組んでいる人と知ってもらうことができました。

 

もちろん、上手くいかないこともありました。文化の違いというのは大きいものです。

朝食を食べながら話をしているとき、私の母がMizukiに対して

「将来日本で家を買う予定があるか?その時の名義は誰になるのか?」という質問をしたのです。

Mizukiはすごく驚いていました。

私もそのまま母の言葉を訳すべきではなかったとすぐ後悔しました。

その場は一瞬にして変な空気に変わり、私はそのあとの会話をほとんど覚えていません。

ただ覚えているのは、その日の夜、Mizukiはとても怒って泣いていたということ。

Mizukiは、母の質問はとても失礼であり、また別れ際にきちんと目を見て挨拶もしない態度が許せなかったと言います。

ただ誤解してほしくないのは、私の母は人とのコミュニケーションがあまり得意ではないのです。

特別Mizukiにこういう態度をしたのではなく、息子の私に対しても毎回別れ際は目を合わせて挨拶してくれません。

それは母が自分の感情を相手に見せたくないからだと私は理解しています。

 

東京スカイツリーを観光
東京スカイツリーを観光

 

母と弟のこの訪問はMizukiを傷つけることもありましたが、母にとっては私とMizuki、そして日本という国を理解する良い機会になったと思います。

これをきっかけに、母は私が今後も日本で生活していくことを許してくれた気がします。

その証拠に、「日本での生活スタイルの方がJeffとMizukiに合っているから台湾には無理に戻ってこなくてもいいんだ」と母が言い始めたことを弟から聞きました。

 

つづく

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