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私が所属するシラキュース大学は障害学をアメリカで最初に初めた大学であり、障害のある学生も必要なサポートが提供され、平等に学ぶことができるインクルーシブな教育環境が作られています。
また学生だけでなく、シラキュース大学には障害のある職員もたくさん働いています。その中の1人がMichael A. Schwartz教授。
聾者であるSchwartz教授は、法学部下に設立されているDisability Rights Clinic(障害者権利について法的サポートをするオフィス)のディレクターを務めながら、障害者法なども学生たちに教えています。
法律を学んだきっかけは、ノースカロライナ州立聾学校で仕事をした際に見た聴覚障害の子供達に対する差別でした。
Schwartz教授がアメリカ自由人権協会にこの事実を伝えたところ、子供達への対応が改善されていく変化をみて法律を学びたいと感じたそうです。
1981年、ニューヨーク大学で法務博士を取得した当時、アメリカには聾者の弁護士はたった2~3名しかいなかったと言います。
卒業後、最初に就いた仕事はマンハッタンにある連邦裁判所。とても名声のある裁判所です。
1年後、検察官としてマンハッタン地区検事オフィスに移り、控訴局で8年間働きました。
世界で一番忙しいとも言われるニューヨークの控訴裁判所にも8年間通ったそうです。
その後、現在の奥様と出会い結婚。
3年間、個人で弁護士として働いたあと、ニューヨーク州の司法長官のもとで仕事をしました。
そのオフィスは9.11で崩壊したワールドトレードセンターのすぐ近くだったといいます。
その後、コロンビア大学で法学修士号を取得したSchwartz教授は、ニューヨーク州ロチェスターにある国立聾工科大学(National Technical Institute for the Deaf)で教員として働き始めます。
ここは聴覚障害者を対象にした大学で、ロチェスター工科大学(Rochester Institute of Technology)の敷地内に設立されています。
Schwartz教授は、ロチェスター工科大学の方で教授になりたいと考えていましたが、博士号がないと教授にはなれないと言われ、ロチェスター大学に入学することに。
しかし、そこでは手話通訳士を十分に手配してもらえず、思うように学ぶことができなかったそうです。
そんな時、アドバイザーからこんなことを言われました。
シラキュース大学に行きなさい。そしてスティーブン・テイラーを訪ねなさい。
スティーブン・テイラーというのは、アメリカで初めて障害学を設立したシラキュース大学の教授です。
残念ながら2014年11月に癌のため亡くなられたのですが、生前、研究者としてまた教員として多くの方に大きな影響を与えた人物です。
Schwartz教授はロチェスター大学を去り、シラキュース大学へ入学。そこで博士号を取得しました。
在学中の2004年、現在働いているDisability Rights Clinicがオープンし、そこで仕事をしながら勉強をしたといいます。
輝かしい学歴と職歴のSchwartz教授ですが、就職活動では悔しい思いをしたこともあったそうです。
ロチェスターで働く前、1994年頃に私はマンハッタンにある法律事務所135カ所に履歴書を送りました。
会社のサイズは大・中・小企業それぞれ同じ割合です。
しかし、1つミスをしてしまいました。
履歴書に”私は聾者です。読唇術でコミュニケーションをとることができます。”と書いてしまったのです。
結果、135社どこからも面接の連絡はありませんでした。
ADA(障害を持つアメリカ人法)がすでに施行されたあとに起こった出来事です。
学歴・職歴を見れば、私が名誉ある大学で学び、アメリカでもトップクラスの職場で法律のプロフェッショナルとして働いてきたことは明らか。
聾者であるということを理由に、彼らは私を面接できないと判断したのでしょう。
そんな中、ある求人広告にマンハッタンの法律事務所の募集を見つけました。
女性や有色人種へ革新的に行動を起こしている法律事務所で、私がこれまで学んできたこと、仕事や個人としての経験を活用できるぴったりの職場だと思いました。
同じことは繰り返すまいと思い、自分が聾者であることは履歴書から消して応募しました。
すると、予想通り!面接の連絡が来たのです。
私はスーツを着て、ネクタイを締め、その法律事務所に行きました。
案内された部屋で待っていると、面接官が入ってきました。
立ち上がり握手をしたところで、私は「私は聾者です」と笑顔で伝えました。
すると、面接官の表情は一変し、とても驚いた様子。
そのリアクションから彼の驚きがこちらにも分かるほどでした。
面接官は自分の部屋に私を通すと、すぐ自分のデスクにある椅子に座り、電話を取りました。
私には電話をかけているのか、それともかかってきた電話に出たのかわかりませんでした。
そこからです。私に背を向けて電話で話を始めたのです。
アメリカでは、相手に背を向けるというのはとても失礼な行為。
20分後、電話を終えた面接官はこういいました。
”もう空いているポジションはありません。”
私は面接官に腹を殴られたような感覚でした。
私が聾者ということを知りこのような差別的な行動をとったのです。
この言葉には本当に驚きました。
”お会いできてよかったです。”
そう続ける面接官の言葉は、私を一刻も早くオフィスから追い出す言葉に聞こえました。
マイノリティに対して革新的な仕事をしている法律事務所にこんな明らかな差別をされ、本当に悔しい気持ちでいっぱいでした。
履歴書には障害を書かず、面接の話が来てから障害を公開すると面接拒否された、という経験者は日本でもたくさんいるのではないでしょうか?私もその1人です(*1)。
そういう会社ほど表向きはマイノリティの活躍を謳っていながら、意外に社内は古い体制だったりします。
障害を最初から公開すれば、最初から体の状態を予想してもらえる(後から態度が急変することはない)ですが、
障害者に対して間違った認識をもっている会社だと、実際にできる仕事の量や質以下のものしかさせてもらえない可能性もあります。
真のプログレッシブな会社に当たればラッキーなのですが、これを見極めるのは簡単ではありません。
日本でもダイバーシティ(多様性)について語られる機会が増えてきましたが、これから障害者に限らず、LGBTQや外国籍の人など、日本人が一般的に想像する「人」とは見た目や状態が違う人がますます日本社会にでてきます。
企業側は社内のダイバーシティの意識向上だけでなく、求職者の中にも多様な人がいることを認識し、適切なかたちで平等な審査ができるよう準備を進める必要があると考えます。
現在Schwartz教授には、月曜日~木曜日の朝9時~夕方5時まで、フルタイムで手話通訳士がついています。(金曜日は自宅で仕事)
日によっては通訳の出番が少ないときもありますが、仕事柄いつ電話がかかってくるか、いつ生徒が訪ねてくるか分からないため、オフィスにいる時は常時同席してもらっているそう。
ここまでの合理的配慮はアメリカの職場でも珍しいと言います。
シラキュース大学は、まず私に何が必要かを聞いてくれました。
多くの雇用主はそうしてくれないのが現状です。
どんな人も一緒に働けるインクルーシブな労働環境を作るには、雇用主が提供できるものを勝手に判断するのではなく、本人にまず聞くということが重要なのですね。
障害者雇用でいうと、日本の場合は面接時にどんな配慮が必要か質問されるケースが多いですが、アメリカの場合は採用が決まった後に話し合われます。
面接時に必要な配慮を聞き出せば、その答えによっては費用がかかるとみなされ不採用になるケースもあるでしょう。
「何が必要かを知っておきたい」という企業の気持ちはわかりますし、働ける時間や日数などは事前に確認が必要です。
しかし、必要な配慮をすべて面接で聞き出してしまうことで、適切に採用の判断できなくなってしまうのでは?と感じます。
意識しないでおこうと思っても、「この人を雇えば、こんなにお金がかかってしまう。面倒なことになってしまう。」そんな思いが出てくる可能性があるからです。
平等に採用審査をするというのはとても難しいこと。
だからこそ、少しでも差別が発生しそうな採用プロセスや質問は変えていかなければならないのです。
*1 私が実際に経験した就職活動での出来事を以下の記事でシェアしています。