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小さい頃のMizuki
 

こんにちは、ジェフです。

2週間前に投稿した「もし子供が産まれたら その1」では海外で子育てすることの心配について書きました。

 

実はもう1つ大きな心配事があります。

 

それはもし子供が障害を持って産まれてきたら、ということです。

 

Mizukiはもともと健康な状態で産まれました。

歩けなくなったのは2歳の時で、当時医師は障害の原因を「今の医学では説明できない」と言ったそうです。

2007年、私たちが初めて出会った時、当時21歳だった私は子供を育てるということをまったく意識していませんでした。

しかし、2008年にMizukiが初めて台湾に来ることになり、両親に彼女を紹介することにしました。

私の母は、Mizukiが友達以上の存在であることに気がついていましたが、あえて彼女を名前では呼ばず、「あなたの”友達”」と言っていました。

母にとって、長男の彼女が車イスの人という事実を認めることは簡単ではなかったのです。

日本人+車イスの女性と結婚することを母が受け入れるまで本当に大変だったと、最近になって姉から聞きました。

母の中で、息子は健常者の女性と結婚し、2~3人の子供と一緒にずっと台湾で生活する家庭を描いていたからです。

私がMizukiと家族になることを考え、母が描いていた家庭像を初めて比較したとき、そのなかに子供はいませんでした。

 

数年後、母はずっと心の中で考えていたであろう質問をしてきました。

それは私も心のどこかでずっと隠していて、正面から向き合う勇気がもてなかったものです。

「子供も車イスが必要な状態で産まれるの?」母は心配そうに、でもハッキリと聞いてきました。

そのシンプルな質問はあまりにも衝撃的で、私はその場で何も答えることができませんでした。

そして、この母との会話は自分の心の中にしまうことにしました。

 

2011年3月11日、巨大地震が日本を襲い、全てのものをストップさせました。

Mizukiと私は今後の重要なことについて話し合い、私が日本に移るという結論に至りました。

これが私たちにとって一番良い選択であることを両親に理解してもらうため、Mizukiは中国語の手紙を準備しました。

手紙のなかに何を書いたら良いかを話す途中、私は以前母から投げかけられた質問について直接Mizukiに聞こうと決意しました。

 

「子供も車イスが必要な状態で産まれるのかな?両親はそのこと気にしてるみたいで…」

私は電話でこの質問をしました。

 

「お医者さんは私の障害は子供に影響ないって言ってたよ」

Mizukiはゆっくりと穏やかに返事をしました。

 

「・・・・・」

無言の状態が少し続き、Mizukiは泣きながら続けました。

「私にその質問をするのはフェアじゃないよ」

「あたながもし健康な女性と結婚して子供を産んでも、障害のある子供が産まれる可能性があるでしょ。だから、私たちの子供が障害をもって産まれたとしても、私だけがその原因とは言えないはずだよ」

泣き声はさらに大きくなりました。

 

「もし子供に障害があったらあなたはどうするつもりなの?」

 

Mizukiのこの質問で私は気付きました。

そう、私がもし別の女性と子供を持つことになったとしても、「絶対に障害のない子供が産まれる」という確約はありません。

それは私がコントロールできることではないし、彼女を責めることもできないのです。

 

そのあと、すぐに私は考え方を変えました。

もし子供に障害があって産まれてきても、それは必ずしも悲しいことではありません。

その子は私の子供であることに変わりないのです。

たくさんの愛をこめて一生懸命育てます。

 

事実として、Mizukiは足に障害がありながらも、それを克服しながら自分の人生を精一杯生きています。

だから、子供に障害があっても彼女が自分の経験をもって教えられることはたくさんある。

素晴らしい見本が近くにいるのです。

Mizukiは子供に輝く人生をガイドできる良い母親になる、と私は信じています。 

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